[토시키 아오야마] 대만 민주화의 아버지로 불리는 전 대만 총통 리덩후이가 97세의 나이로 사망했다. 일제시대 대만에서 태어나 교토제국대학(현 교토대)에서 공부하고 "나는 22세까지 일본인이었다"고 말할 정도로 일본인 이상으로 일본을 사랑했던 리덩후이. 그 근저에는 일본에서 배운 일본 정신과 무사도가 있었다.

그는 2000년에 대만의 총통을 퇴임한 이후, 합계 9회에 걸쳐 일본을 방문했으며, 하이쿠인, 마츠오 바쇼의 「오쿠의 오솔길」을 걸어, 동일본 대지진의 재해지에도 발길을 옮기는 등, 일본을 사랑해 일본인에게 사랑받은 생애였다.

대만 전 총통 리덩후이가 니토베 이나조의 저서 부시도를 읽고 벼락을 맞은 것 같은 큰 충격을 받은 것은 구제 타이베이 고교생 때였다. 니토베 이나조의 부시도에는 현대 일본인이 잃어버린 보편적 사상이 관철돼 있다. 부시도에는 도덕을 근거로 해야 할 일이 기술되어 있다.

닛케이 비즈니스가 전후 70주년의 특별 기획 「유언 일본의 미래에」로 2015년 3월 8일에 실시한 인터뷰에서는, 리더가 되기 위해서 중요한 조건을 일본의 부시도로부터 배웠다고 전하고 있다. 「지도자는 이상이나 생각을 나타내는 것 만으로는 안되며, 실천해야 비로소 의미를 이룬다」라고, 유언실행의 중요성도 강조했다.

그는 대만에서 배운 일본 교육에 대해 이렇게 말했다.

"일본인들은 대만에 박물관 수학 역사 지리 사회 물리 체육 음악 등을 들여와 공학교에서 가르쳤다. 그것을 통해 대만인은, 세계의 지식이나 사상의 조류를 알 수 있었다. 그때까지 대만인이 배운 것은 사서오경뿐. 유교나 과거 같은 전통의 굴레에서 해방시켜 준 것은 일본의 교육이었다."

그는 이어서 중국 문화는 왜 썩어 빠졌는지에 대해 "이유는 언행 불일치, 말하는 것과 행동하는 일이 전혀 다르기 때문"이라고 결론지었다.

2002년 11월, 케이오대에서 학생들을 상대로 이야기했던, "환상의 강연 원고"가 된 「일본인의 정신」에는 이렇게 쓰여져 있다.

"지금 우리가 사는 인류사회는 미증유의 위기에 직면해 있다. 위기가 닥쳤을 때 일본인에 대한 국제사회의 기대와 희망은 점점 커진다 .수천 년 동안 쌓아온 일본인이 가장 자랑스럽게 여겨야 할 보편적 가치인 일본 정신이 필수불가결한 정신적 지침이 아닐까."

그 실례로 리덩후이는 제2차 세계대전 전의 대만에서 동양 제일로 꼽힌 오산두댐을 만든 일본인 기사 핫타 요이치(八田要一)를 들었다. 공사는 고난의 연속이었지만 관개용 수로도 정비해 가뭄과 홍수에 시달리던 불모지를 광활한 농지로 만들었다. 대만 농민 구제를 위해 일본인 핫타는 평생을 이국땅에서 바쳤다.

리덩후이는 어떻게 살 것인가를 생각하게 하고 공적인 정신을 실천했다고 핫타를 칭송했으며, 핫타는 대만에서 지금도 큰 존경을 받고 있다.

리덩후이는 강연 원고를 이렇게 마무리했다. "여러분의 위대한 선배 핫타 요이치같은 분들을 다시 한번 생각하고 공부하여 우리 생활에 포함하자. 사심이 아닌 공을 위해 성의껏 행동하자." 전후 일본인이 잃어버린 일본정신을 이제서야 되찾으려고 그는 사사건건 부시도를 설파한 것이었다.

리덩후이 총통은 위대한 민주적 지도자로 높이 평가될 뿐 아니라 일본 정재계, 문화인 등과도 깊은 친분이 있었다. 그는 역사와 문화의 조예도 깊고, 작가 고· 시바 료타로와도 교유가 있었다.

시바 료타로와 함께

그가 사망하자 대만뿐만 아니라 전 세계로부터 많은 메시지가 전해졌다.

차이잉원( 蔡英文) 대만 총통은 "우리가 진심으로 경애하는 리덩후이(李登輝) 전 총통께서 서거하셨습니다. 리 전 총통은 대만인들과 함께 역사적 도전을 수없이 넘어왔습니다. 대만에 민주자유를 남겨 두고 앞으로도 우리들에게 용기를 북돋아 줄 것입니다. 리 전 총통의 유지를 이어 '대만에 태어난 행복'을 추구합니다."라고 일본어로 메시지를 밝혔다.

아베 일본 총리는 리덩후이 전 총통의 서거 소식을 접하고 참으로 "애석하기 그지 없습니다. 리덩후이 총통은 일본과 대만의 친선관계, 우호증진을 위하여 다대한 공헌을 하신 분입니다. 그리고 동시에 리덩후이 총통은 항상 일본에 대해 특별한 생각을 갖고 계셨던 분이기도 하며, 또한 대만에 자유와 민주주의, 인권, 그리고 보편적인 가치를, 또한 일본-대만 관계의 초석을 다진 분으로서 많은 일본 국민은 각별한 친밀감을 갖고 있습니다. 리덩후이 총통의 서거, 대단히 유감스럽게도 다시 한번 진심으로 명복을 빕니다."라고 수상 관저 FB에서 추도했다.

미국의 폼페이오 국무장관은 30일 대만 리덩후이 전 총통의 사망에 미국민을 대표해 진심으로 애도를 표한다는 성명을 발표했다.

폼페이오 전 총리는 리 총통에 대해 민주적으로 선출된 최초의 총통으로서 수십 년간에 걸친 (대만의) 권위주의 체제를 끝내는 데 기여해 경제적 번영과 개방성, 법의 지배를 위한 새로운 시대를 열었다고 칭찬했다. 이어 그가 미국과 대만의 깊은 우호관계를 공고히 했다며 정치적 경제적 가치관을 공유하는 대만과의 유대를 더욱 공고히 하고 싶다고 강조했다.

중국 문제 전문가인 중국계 일본인 스핑(石平)은 "어제 서거하신 리덩후이 선생님, 그 경해에 접한 행운은 저에게도 있었습니다. 헤이세이 20년 9월, 타이베이의 자택에서 만나 3시간에 걸쳐서 간담을 나누면서, 철학으로부터 중국 문제까지 여러가지에 대해 교시를 받았습니다. 지금 생각하면 바로 일회성 배알, 평생 잊기 어려운 한때였습니다. 명복을 빕니다."라고 메세지를 보냈다.

현재 전신암 퉁병중임을 공표한 한국 성형계의 아버지 다카스 가쓰야 다카스 클리닉 원장은 트위터를 통해 "리덩후이 선생님. 이 세상에서 만나 뵙고 더 이상 이야기를 할 수 없게 되었습니다. 훌륭한 업적을 남기며 든든한 후계자들을 키우시고 길을 떠났습니다. 왕생. 꽃의 생애라고 생각합니다. 선생님과 같은 여행을 동경합니다. 소생, 만나기를 기대하고 있습니다."라고 진심으로 추모 글을 올렸다.

부시도라는 남자의 꽃길을 평생 관통해 사람들의 사랑과 존경을 받았던 리덩후이 전 총통.
대만과 일본 그리고 아시아 평화의 가교 모범이 되신 리덩후이 선생의 명복을 진심으로 빈다.

台湾民主化の父と言われる李登輝氏が97歳で亡くなった。
日本統治時代の台湾で生まれ京都帝国大学(現在の京都大学)で学び、「私は22歳まで日本人だった」と語るほど日本人以上に日本を愛した李登輝氏。

その根底には、日本から学んだ「日本精神と武士道」があった。
2000年に台湾の総統を退任して以降、計9回にわたり来日。

俳人、松尾芭蕉の「奥の細道」を歩き、東日本大震災の被災地にも足を運ぶなど、日本を愛し日本人に愛された生涯だった。

台湾元総統の李登輝が、新渡戸稲造(にとべ・いなぞう)の著書「武士道」を読んで「雷に打たれたような大きな衝撃を受けた」のは、旧制台北高校生のときだった。新渡戸稲造の『武士道』には、現代の日本人が忘れてしまった普遍的思想が貫かれている。武士道には道徳を拠り所とするべきでことが述べられている。

日経ビジネスが戦後70周年の特別企画「遺言 日本の未来へ」で2015年3月8日に実施したインタビューでは、リーダーになるために大切な条件を日本の武士道から学んだとしている。

「指導者は理想や考えを示すだけではだめで、実践して初めて意味を成す」と、有言実行の重要性も強調した。

李氏が台湾で学んだ日本の教育についてこう述べた。

「日本人は台湾に博物学、数学、歴史、地理、社会、物理、体育、音楽などを持ち込み、公学校(日本統治下の台湾に1898年から開設された初等教育学校)で教えた。それを通して台湾人は、世界の知識や思想の潮流を知ることができました。それまで台湾人が教わっていたのは四書五経だけ。儒教や科挙といった伝統の束縛から解放してくれたのは、日本の教育でした。」

中国文化はなぜ腐りきったのかについて「理由は、言行不一致、言っていること、やっていることが全く違うからだ」と結論づけた。

2002年11月、慶応大で学生向けに話すはずだったが、“幻の講演原稿”となった「日本人の精神」にこう綴られている。

「いま、私たちの住む人類社会は未曽有の危機に直面している。危機竿頭(かんとう)に面したとき、日本人に対する国際社会の期待と希望はますます大きくなる。数千年にわたり積み重ねてきた日本人が、最も誇りと思うべき普遍的価値である日本精神が、必要不可欠な精神的な指針なのではないか」

その実例として李登輝は戦前の台湾で、東洋一とされた「烏山頭(うさんとう)ダム」を作った日本人技師、八田與一(はった・よいち)を挙げた。工事は苦難の連続だったが、灌漑(かんがい)用水路も整備し、干魃(かんばつ)や洪水に苦しんだ不毛の地を広大な農地に変えた。台湾農民救済のために日本人の八田は生涯を異国の地で捧げた。

李登輝は、「人間いかに生きるべきか」を考えさせられ「公に奉ずる精神」を実践したと八田をたたえた。八田は台湾でいまも大きな尊敬を集めている。

李登輝は講演原稿をこう締めくくった。「皆さんの偉大な先輩、八田與一のような方々をもう一度、思い出し、勉強し、われわれの生活に取り入れよう」。私心ではなく「公」のために誠意をもって行動する。戦後の日本人が失った「日本精神」をいまこそ取り戻そうと李登輝は事あるごとに「武士道」を説いたのだった。

李登輝総統を偉大な民主的リーダーとして高く評価するだけでなく、日本の政財界や文化人などと深い親交があった。李氏は歴史・文化への造詣(ぞうけい)も深く、作家の故・司馬遼太郎氏とも交遊があった。

死去を受けて、台湾のみならず世界から多くのメッセージが出された。

台湾の蔡英文総統は「私達が心から敬愛する李登輝元総統がご逝去されました。李元総統は台湾の人々とともに歴史的挑戦を幾度も乗り越えてきました。台湾に民主自由を残し、今後も私達を勇気づけてくれることでしょう。李元総統の遺志を継ぎ「台湾に生まれた幸福」を追求し続けます。」と日本語でメッセ―ジを述べた。

日本の安倍総理は、「李登輝元総統の御逝去の報に接し、誠に痛惜の念に堪えません。李登輝総統は、日本と台湾の親善関係、友好増進のために多大な御貢献をされた方であります。そしてまた、同時に、李登輝総統は常に日本に対して特別な思いで接してこられた方でもあり、また、台湾に自由と民主主義、人権、そして普遍的な価値を、また、同時に、日台関係の礎を築かれた方として、多くの日本国民は格別の親しみを持っています。李登輝総統の御逝去、誠に残念でありますが、改めて心から御冥福をお祈りいたします。」と首相官邸FBで追悼した。

アメリカのポンペオ米国務長官は30日、台湾の李登輝元総統の死去に「米国民を代表して心からの哀悼の意を表する」との声明を発表した。

ポンペオ氏は李氏について「民主的に選ばれた最初の総統として、何十年間にもわたった(台湾の)権威主義体制を終わらせるのに貢献し、経済的繁栄と開放性、法の支配に向けた新たな時代を切り開いた」と称賛した。さらに、李氏が「米国と台湾の深い友好関係を強固にした」とし、「政治的・経済的価値観を共有する台湾との絆をさらに強めていきたい」と強調した。

中国問題のスペシャリストで中国系日本人の石平氏は「昨日に逝去された李登輝先生、その謦咳に接する幸運はこの私にもあった。平成20年9月、台北のご自宅でお目にかかって3時間にわたって懇談し、哲学から中国問題まで様々なことについてご教示をいただきました。今に思えばまさに一期一会の拝謁、終生忘れ難いひと時だ。ご冥福をお祈り申し上げます。」とメッセ―ジを寄せた。

全身がんであることを公表し、韓国美容整形界の父である高須クリニックの高須克弥院長はツイッターを更新し、「李登輝先生。この世でお会いし、お話しができなくなりました。立派な業績を残し、頼もしい後継者たちを育てられ旅立たれました。大往生。花の生涯だと存じます。先生のような旅立ちに憧れます。小生、お会いするのを楽しみにしております」と心からの追悼文を載せた。

「武士道」という男の花道を生涯貫ぬき、人々から愛され尊敬された李登輝前総統。
台湾と日本とアジアの平和の架け橋・模範となった李登輝先生のご冥福を心よりお祈りいたします。