[토시키 아오야마] 6월에는 케이팝을 대표하는 톱 걸그룹들이 속속 컴백한다. 3대 사무실로 불리는 SM, JYP, YG엔터테인먼트에서 레드벨벳 새 유닛, 트와이스, 블랙핑크가 차례로 컴백한다.

트와이스, 블랙핑크에 이어 아이즈원도 컴백 대전에 합류한다. 아이즈원은 6월 15일 3rd 미니앨범으로 컴백한다. 6월은 케이팝 걸스 역사상 가장 경쟁이 치열한 달이 될 것 같다.

긴 일본 여성 아이돌의 역사를 돌아보면 가장 풍작이고 다수의 스타를 배출한 것은 1982년이 될 것이다. 나카모리 아키나, 고이즈미 쿄코, 호리 치에미, 하야미 유, 이시카와 히데미, 하라다 토모요, 마츠모토 이요, 미타 히로코 등 1982년 데뷔조의 아이돌은 모두 거물급 아이돌로 인기를 끌며 "꽃의 82년조"로 불리며 융성을 거듭했다. 지금도 꽃의 82년조는 특별한 인연으로 묶여 있다.

그 중에서도 나카모리 아키나의 인기는 대단해, 80년대의 아이돌 씬은 마츠다 세이코와 나카모리 아키나의 정상 대결이 계속 되었다. 당시 남학생들은 세이코 파와 아키나 파로 갈라져 서로 오랫동안 라이벌 관계였다. 세이코와 아키나라는 양대 거두 사이를 가르면서 헤집고 들어갔던 제3의 세력으로서 개성을 발휘한 것이 고이즈미 쿄코이다. 고이즈미 교코는 "그 두 사람(세이코와 아키나)이 있었기에 내가 있다"고 인터뷰에서 밝히기도 하였다.

마츠다 세이코
고이즈미 쿄코

나카모리 아키나의 인기가 최초로 비등한 것은, 데뷔해 2곡째의 "쇼조 A"이다. 아이돌이 가장 화려하게 활약해 "아이돌 전국시대" 등으로 불린 시대에, 아키나는 가창력이 높지만, 처음은 비교적 수수한 그림자가 있는 존재였다.

쇼조 A

그런데 불과 두 곡 만에 같은 세대 아이돌 정상에 올랐다. 일본 아이돌은 미성숙한 채 팬들의 응원을 받으며 그 성장 과정을 즐긴다는 기본 구조로 성립되어 있고, 당시 나카모리 아키나가 인기였던 것은 '만든 아이돌' '귀엽기만 한 아이돌'에 식상한 세간의 요구와 맞아 떨어진 것으로 분석되고 있다.

나카모리 아키나는 반짝반짝 빛나는 사랑스러운 아이돌이 아니라 그림자가 있는 다크하고 쿨한 이미지의 아이돌로 각광받았다. 한국에서 이효리나 근래의 실력파 블랙핑크 혹은 마마무가 평가받던 과정과 비슷하다. 당시, 마츠다 세이코가 종래형의 귀여운 공주 아이돌로서 정점을 굳혔다면, 그 반동으로 나카모리 아키나는 실력파 아이돌로서, 안티 세이코의 근거로도 완벽한 존재였을 것이다.

나카모리 아키나의 특징은, 대부분의 일본 여성 아이돌 가수들이 노래할 실력이 되지 않았던 팝 스타일의 컨템퍼러리 곡을 소화할 수 있던 것이다. 이것에 의해, 야마구치 모모에의 올드 팬을 포섭하는 데도 성공했다. 아키나는, 그 발군의 가창력으로 많은 사람을 매료시켜 갔다.

나 역시 나카모리 아키나를 보기 위해 팬 클럽에 가입하고, 삿포로 시민회관에서 개최된 퍼스트 콘서트에 달려 간 기억이 난다. 이것이 생애 첫 아이돌 콘서트였지만 아이돌 출신 프로 가수라고 할 수 있는 멋진 것이었다. 나카모리 아키나는 선곡과 머리 모양, 메이크 업이나 안무 등의 아이디어를 적극적으로 제안하는 등 셀프 프로듀싱에 능했다.

나카모리 아키나는 1985년의 "미 아모레"와 1986년의 "DESIRE-정열"로 2년 연속으로 일본 레코드 대상을 수상. 1980년 은퇴한 야마구치 모모에와 마츠다 세이코는 레코드 대상을 받지 못했다. 2년 연속 일본 레코드 대상 수상은 여성 솔로 가수로서 사상 첫 쾌거였다.

"DESIRE -정열"에서는 의상 선택 시에 아키나가 "이 곡은 기모노로 부르고 싶다"라고 제안해 기모노를 양식으로 어레인지 하기도 했다. 나카모리 아키나 발안의 파격적인 안은 주위 스탭의 간담을 서늘하게 했다. 그 참신한 퍼포먼스가 화제가 되어 1986년도 오리콘 연간 싱글 차트 2위를 기록했고, 마돈나가 DESIRE 영상을 보고 의상과 퍼포먼스를 자신의 공연에서 받아들였다는 일화는 유명하다.

야마구치 모모에

1980년대 싱글 총매출은 연간 베스트 50위 이내에서만 932.5만장, 연간 50위 이내 랭크인 곡수는 22곡으로 모두 당시 여성 아이돌 중 1위였다. 역시 1980년대 당시 여성 아이돌 중 연간 싱글 오리콘 차트 최고위 자리는 4차례 차지했다(1984년, 1985년, 1986년, 1987년) NHK 홍백가합전에는 8차례 출전했다.

쇼와 가희라고 하면, 미소라 히바리나 야마구치 모모에 등 전설적인 가희도 있었지만, 80년대 아이돌 전성기에 활약한 나카모리 아키나를 가장 평가한다고 하는 사람도 상당히 많다.

사생활에서는 자살시도 등 여러 가지 트러블이 있었지만 그 인기는 지금도 건재하다. 2016년, 7년만의 디너쇼(7개 도시 10회 공연)를 개최. 데뷔 35주년인 2017년은 14개 도시 18회 공연으로 폭을 더 넓혔다.

티켓은 보통 3만6000엔에서 5만엔으로 일본 연예계에서도 정상급 가격. 그런데도 당일 매진이라 하니 발군의 인기다. 나카모리 아키나는, 텔레비전, 라디오, 잡지에의 노출은 거의 제로.
연 1회밖에 볼 수 없는 그녀의 디너쇼는 플라티나 티켓. 옥션 사이트에서는 초고액으로 거래된다.

마토바 코지

배우 마토바 코지는 금년 2월, "그날 그때"라는 제목으로 블로그를 갱신. 일찌기 드라마에 공동출연해, 원래 팬이였던 가수 나카모리 아키나와의 추억을 소개했다.

"여러분, 갑자기 그리운 노래 생각나는 일 없습니까...저는, 꽤 있어요..."라고 독자에게 물었던 마토바는, 촬영 중, 무의식적으로 나카모리 아키나의 3번째의 싱글곡 "세컨드 러브"를 흥얼거리고 있었다고 한다.

몸에 악곡이 스며들 정도의 나카모리 팬인 그는 "아키나의 노래... 젊었을 때부터 무척 좋아했어요...아키나의 목소리...압도적인 세계관...표현력...뛰어나.죠.."라고 평하고 있다.

그런 마토바가, 1992년 방송의 드라마 "맨얼굴인 채로"(후지TV 계열)에서, 동경하던 나카모리 아키나와 마침내 공동 출연의 꿈을 이루게 된다. 

그리고 팬들에게 너무나 부러운 에피소드를 선보였다. "촬영 중간 잡담으로 '타쿠짱(마토바의 역할) 내 노래...뭐가 좋아?'라고 그녀가 물었고, 나는 '다 좋은데...세컨드 러브 너무 좋아!'라고 대답하면... 아키나가 내 등 뒤로 돌아서... 뒤에서 조용히 속삭이듯이 "세컨드 러브"를 불러주었다..."

"진심으로 사랑하는 가수가 귓가에 대고 아주 좋아하는 곡을 불러준 사치스러운 체험. 20여 년 전 일이지만 좋아하는 아티스트의 체온을 느끼고 귀에 다가드는 노래 그때의 감동을 지금도 확실히 기억하고 있어요... 평생 잊지 못할 시간...'이라고 마토바는 코멘트하고 있다.

나카모리 아키나의 라이브 영상을 차분히 보고싶다는 팬들에게 희소식. 워너 뮤직 재팬의 YouTube 채널에서, 80년대를 대표하는 아이돌·나카모리 아키나의 라이브 영상 작품 "나카모리 아키나 이스트 라이브 인덱스 23" "비터 & 스윗트(1985 서머·투어)"가, 현재 무료 공개되고 있다.

"나카모리 아키나 이스트 라이브 인덱스 23"은 1989년 4월 29~30일에 걸쳐 요미우리 랜드 EAST에서 행해진 라이브로, 나카모리 아키나의 데뷔 8주년을 기념해, 세트 리스트 전체가 "싱글 곡들"로 구성되어 있는 애니버서리 라이브다. 데뷔곡 "슬로우 모션"부터 1989년의 싱글 "LIAR"까지, 전24곡을 피로. 진짜 프로 가수가 무엇인지 알려주는 귀중한 영상이다.

6月はK-POPを代表するトップガールズグループたちが次々とカムバックする。“3大事務所”と呼ばれるSM、JYP、YGエンターテインメントから、Red Velvet新ユニット、TWICE、BLACKPINKが次々とカムバックする。

さらに、TWICE、BLACKPINKに続き、IZ*ONEもカムバック大戦に合流する。IZ*ONEは6月15日、3rdミニアルバムでカムバックする。6月はK-Pop Girls史上、最も競争が激しい月になりそうだ。

長い日本の女性アイドル史を振り返ると、最も豊作で多数のスターを排出したのは1982年になるだろう。中森明菜、小泉今日子、堀ちえみ、早見優、石川秀美、原田知世、松本伊代、三田寛子など1982年デビュー組のアイドルは揃いも揃って大物アイドルとして人気を博し「花の82年組」と呼ばれ、隆盛を極めた。現在も「花の82年組」は特別な絆で結ばれている。

中でも中森明菜の人気は凄まじく、80年代のアイドルシーンは、松田聖子と中森明菜による頂上対決が続いた。当時、男子学生は「聖子派」と「明菜派」の二つに分かれおり、お互い長らくライバル関係にあった。聖子と明菜という2大巨頭の間を割って入ろうとし、第三の勢力として個性を発揮したのが、小泉今日子である。小泉今日子は「あの二人(聖子と明菜)がいたからこそ私がある」とインタビューで答えている。

中森明菜人気が最初に沸騰したのは、デビューして2曲目の『少女A』である。アイドルが最も華やかに活躍して「アイドル戦国時代」などと呼ばれた時代にあって、明菜は歌唱力が高いが、最初は比較的地味な影がある存在だった。

ところが、わずか2曲目で同世代アイドルのトップに立った。日本のアイドルは「未成熟なままファンに応援してもらい、その成長過程を楽しむ」という基本構造で成立している。当時、中森明菜が人気だったのは「作り物のアイドル」「可愛いだけのアイドル」に飽きてきた世間のニーズと合致したと考えられる。

中森明菜はキラキラして可愛らしいアイドルではなく、影のあるダークでクールなイメージのアイドルとして脚光を浴びた。韓国で、実力派のBLACKPINKやMAMAMOOが評価されてきた過程に似ている。

当時、松田聖子が従来型の可愛いぶりっ子アイドルとして頂点を極めた。その反動として、中森明菜は、実力派アイドルとして、アンチ聖子の拠り所としても完璧な存在だったのだろう。中森明菜の特徴は、ほとんどの日本アイドル歌手が歌えなかったヤンキー系の大人びた曲も歌いこなせたことだ。これにより、山口百恵のオールドファンを取り込むことにも成功した。明菜は、その抜群の歌唱力で沢山の人々を魅了していった。

中森明菜を見るためにファンクラブに入り、札幌市民会館で開催されたファースト・コンサートに出かけた。これが人生初のアイドルコンサートだったが、「アイドル出身のプロ歌手」と言える見事なものだった。中森明菜は選曲や髪型、メイクや振り付け等のアイデアを積極的に提案するなどセルフプロデュースに長けている。

中森明菜は1985年の「ミ・アモーレ」と1986年の「DESIRE -情熱-」で2年連続で日本レコード大賞を受賞。

1980年に引退した山口百恵と松田聖子は、レコード大賞を受賞していない。2年連続となる日本レコード大賞受賞は、女性ソロ歌手として史上初の快挙である。

「DESIRE -情熱-」では衣裳選びの際に明菜は「この曲は着物で歌いたい」と提案し着物を洋風にアレンジしたりした。中森明菜発案の型破りな案は周りのスタッフの度肝を抜いた。その斬新なパフォーマンスが話題となり、1986年度のオリコン年間シングルチャート2位を記録し、マドンナはDESIREの映像を見て衣装やパフォーマンスを自分の公演で取り入れたというエピソードもある。

1980年代のシングル総売上げは年間ベスト50位以内のものに限っても932.5万枚、年間50位以内ランクイン曲数は22曲と、どちらも当時の女性アイドル中で1位であった。同じく1980年代、当時の女性アイドルの中で年間シングルオリコンチャート最高位の座は4回獲得している(1984年、1985年、1986年、1987年) NHK紅白歌合戦には8回出場。

昭和の歌姫といえば、美空ひばりや山口百恵など伝説的な歌姫もいたが、80年代アイドル全盛期に活躍した中森明菜を最も評価すると言う人は多い。

私生活では、自殺未遂など様々なトラブルがあったが、その人気は現在も健在である。2016年、7年ぶりとなるディナーショー(7都市10公演)を開催。デビュー35周年となる17年は、14都市18公演と枠をさらに広げた。

チケットは3万6000円から5万円と芸能界でもトップクラスの価格。それでも即日完売というのだから抜群の人気だ。中森明菜は、テレビ、ラジオ、雑誌への露出はほぼゼロ。
年1度しか見られない彼女のディナーショーはプラチナチケット。オークションサイトでは超高額で取引されていたそうだ。

俳優の的場浩司が今年の2月、「あの日・あの時」とのタイトルでブログを更新。かつてドラマで共演し、もともとファンだった歌手の中森明菜との思い出をつづった。

《皆さん、唐突に懐かしい歌を思い出す事ってありませんか…俺、けっこうあるんです…》と読者に問いかけた的場は、奄美大島でのロケ中、無意識に中森明菜の3枚目のシングル曲『セカンド・ラブ』を口ずさんでいたという。

体に楽曲が染み込んでしまうほどの中森ファンのようで、《明菜ちゃんの歌… 若い頃から大好きです…明菜ちゃんの声…圧倒的な世界観…表現力…ずば抜けてる…》と評している。

そんな的場は、1992年放送のドラマ『素顔のままで』(フジテレビ系)で、憧れの中森明菜との共演を果たす。撮影の合間に雑談もしたようで、《明菜ちゃんと話していて『俺、明菜ちゃんの歌スゲー好き!』

明菜ちゃん笑顔で『本当に?』『本当だよ!』》とのやり取りがあったという。

そしてファンにとって羨ましいエピソードを披露した。ロケの合間の雑談で《『たくちゃん(俺の役名)私の歌…なにが好き?』『全部好きだけど…セカンド・ラブめちゃくちゃ好き!』すると… 明菜ちゃんが俺の背中に回り込み…後ろからそっと囁くように「セカンド・ラブ」を歌ってくれた…》。

心から愛する歌手が耳元で大好きな曲を歌ってくれた贅沢すぎる体験。20数年前の出来事だが、《好きなアーティストの体温を感じ…耳に飛び込んでくる歌…その時の感動を… 今でもしっかりと覚えてます… 一生忘れる事が出来ない時間…》と的場はコメントしている。

中森明菜のライブ映像をじっくり見たいと願うファンに朗報。ワーナーミュージック・ジャパンのYouTubeチャンネルにて、80年代を代表するアイドル・中森明菜のライブ映像作品「中森明菜イースト・ライヴ インデックス23」「ビター&スウィート(1985サマー・ツアー)」が、現在無料公開されている。

「中森明菜イースト・ライヴ インデックス23」は1989年4月29~30日にかけて読売ランドEASTで行われたライブで、中森明菜のデビュー8周年を記念し、セットリストの全てが「シングル曲」で構成されているアニバーサリーライブだ。デビュー曲「スローモーション」から1989年のシングル「LIAR」まで、全24曲を披露。本物のプロ歌手は何なのか教えてくれる貴重な映像だ。