[토시키 아오야마] EXILE ATSUSHI가 4월 30일, 40세의 생일에 YouTube와 인스타그램으로 라이브 방송을 실시하면서 생일을 맞이했다.

자택에서 지내는 가운데 최근 빠져 있는 것을 소개, 그리고 CHEMISTRY부터 시작하여 GLAY의 TERU, TAKURO, DAPUMP의 ISSA, 코다 쿠루미, AI, 미즈하라 노리코, 미야네 세이지, 고로케, 후지 아야코 등등 연관이 있는 인물들로부터, 축복 메세지가 전해졌다.

특히 CHEMISTRY는, TV 도쿄계 "ASAYAN"에서 같은 오디션을 받고 있던 적도 있어, 지금까지는 "사이가 좋다거나 나쁘다는 의미가 아니고, CHEMISTRY 컴플렉스가 있었다. 하지만 EXILE이 내년 20주년으로, 40세를 맞이한다고 하여, 부탁했습니다"라고 밝혔다.

20세의 아츠시

EXILE ATSUSHI는 2000년에 모닝구 무스메를 배출한 TV 도쿄의 초인기 오디션 프로그램 "ASAYAN"의 "남자 보컬리스트" 오디션의 최종 전형에서 최종 전형인 5명에 남았지만, 2000년 11월 방송회에서 4명으로 압축할 때, 낙선을 했다. Mnet의 오디션 프로그램 "Produce 시리즈"의 원류가 바로 ASAYAN이기도 하다

CHEMISTRY

ATSUSHI는 "초보이지만 오디션으로 매주 텔레비전에 나올 수 있었습니다. 떨어졌을 때는 충격은 아니었는데, 그 후 통과한 사람이 (CHEMISTRY로) 우와~ TV에 나오는 걸 보면서 점점 속상하게 되고 사실은 거기에 있었을지도 모르는데, 내가, 큰 찬스를 놓쳤나? 라고 생각하면, 점점 괴로워지고 있었습니다."라고 TV 프로그램에서 당시를 회상하고 있었다.

당시 20세. 술을 마시고 억울함을 달래는 괴로운 나날이 계속됐다고 한다.

CHEMISTRY는 2001년 3월 7일에 싱글 "PIECES OF ADREAM"으로 데뷔, 발매 6주만에 오리콘 1위를 획득. 이것은 쟈니스 사무소 소속의 아이돌을 제외하면 남성 보컬 그룹에서는 21년만이라는 쾌거였다.

같은 해 11월에는 첫 오리지널 앨범 "The Way We Are"를 발매, 트리플 밀리언(누계 350만장의 대히트)을 기록한다. 이 앨범의 세일즈로 오리콘 남자 아티스트 데뷔 앨범으로서 역대 1위 기록을 수립했다. 당시 거리 어디를 걸어 가도, 어느 KARAOKE 샵에 가도 CHEMISTY만 걸려 있었다.

2011년 CHEMISTRY가 드물게 페스티벌에 출연한다는 소식을 듣고 고베 고난 대학까지 들으러 간 적이 있다. CD를 틀고 있는 듯한 신들린 노래의 능숙함이었다.

인기 오디션 프로그램 ASAYAN에서 4명 안에 남아 있던 것이 현재 EXILE에서 퍼포먼스 겸 보컬리스트로 활동하는 NESMITH였다.

ATSUSHI는 2001년에, EXILE의 전신으로, HIRO가 리더를 맡고 있던 J Soul Brothers에 권유되어 가입. J Soul Brothers는 2001년 8월 24일, 시부야의 클럽 ATOM에서 행해진 "SASA FINAL LIVE & ATSUSHI, SHUN FIRST LIVE"를 마지막으로 SASA가 탈퇴, 신 보컬로서 ATSUSHI와 SHUN가 첫 피로되었다. 이 그룹은 며칠 뒤 EXILE으로 이름을 바꾸고 재시동을 걸었다.

EXILE 1기

EXILE은 2001년부터 2006년이 "1기"로, ATSUSHI와 SHUN이 트윈 보컬을 맡았고 EXILE 전설은 여기서 출발했다.

EXILE이 데뷔한지 얼마 안된 2001년 경, 나는 도쿄 신바시에 있는 일본 최대 규모의 댄스 스튜디오 Zeal Studio에 다니고 있었고, Hiphop Dancer인 Suguya의 클래스를 수강하고 있었다. Suguya씨는 Event Organizer로도 활약하고 있으며, 그가 주최하고 있던 Dancer's Party에 EXILE이 출연하게 되어 Suguya씨의 권유로 가와사키의 CLUBCITTA에 간 적이 있다.

SUGUYA

당시 , EXILE은 지금처럼 브레이크하지 않고, ATSUSHI나 SHUN이 "Dancer's Party, 기대하고 왔습니다"라고 건강하게 인사하면서, 데뷔 싱글 "Your eyes only ~애매한 나의 윤곽~"을 즐겁게 부르고 있던 모습을 지금도 선명하게 기억하고 있다.

EXILE ATSUSHI는 사이타마현 코시가야시 출신으로, 사이타마현 코시가야시 출신의 멤버가 주체인 R&B 코러스 그룹 Luv and Soul의 라이브에 가끔 놀러오곤 했었다. Luv and Soul은 아름다운 화음이 특징이었고 95% 이상은 여성 팬들이었다. 어느 날 하라주쿠의 라이브하우스에서 단독 라이브를 한다고 해서 마지막 줄에서 대기하고 있는데 EXILE ATSUSHI가 갑자기 나타나서 인사를 나누고 바로 옆에서 2시간 동안 라이브를 지켜 보았다.

Luv and Soul

여담이지만, BTS의 데뷔는 2013년 6월 13일 Mcount down에서 당시 CJ E&M 센터 2층 스튜디오에서 BTS의 첫 라이브 무대를 현지에서 본 추억도 있다. 빅 아티스트의 여명기에는 인연이 있을지도 모른다.

그 후, EXILE는 2008년 연말, 첫 돔 투어 "EXILE LIVE TOUR"EXILE PERFECT LIVE 2008"를 개최.이 시기 이후에는 일본을 대표하는 국민적 그룹으로 확실히 인지되었다.

EXILE

ATSUSHI는, 2006년경부터 솔로로 활동 개시. 2011년 9월 14일, EXILE의 싱글에 동시 수록된 "언젠가 반드시..."에서 EXILE ATSUSHI 명의로 솔로 데뷔.

EXILE의 인기는 순항했지만, ATSUSHI 개인으로서는, "은퇴도 생각했던" 시기도 있었다고 한다.

"거의 매년 투어를 하고, 매년 앨범을 내는 페이스를 무너뜨리지 않고 왔기 때문에, 여러가지 것이 닳아 가는 것을 실감하고 있었다. 내 노래에 자신이 없어, 마음대로 부르지 못해. 어쩌면 노래가 싫어져 버릴지도 몰라 도망치고 싶은 생각이 있었다" "한번 리셋하지 않으면 무엇인가가 무너질 것 같다고 예감하고 있었다"라고 2015년~2016년 당시를 되돌아 보고 있다.

2016년에 솔로 가수로서는 사상 최초가 되는 6대 돔투어 "EXILE ATSUSHI LIVE TOUR 2016 "IT'S SHOW TIME!!"(도쿄, 삿포로, 세이부, 나고야, 오사카, 후쿠오카)을 진행했다.

6대 돔투어 후인 2016년 10월부터 2017년 2월 상순까지 로스앤젤레스와 뉴욕으로 유학. 충실한 충전 기간을 보냈다.

유학을 거쳐, "이것은 안된다"라는 노래하는 감각을 되찾을 수 있었다고 했다. 활동 재개를 향해서는 "소중한 메세지를 전달하는 가수가 되고 싶다. 활기차게 부활시켜 주었으면 합니다"라고 분발하면서, "파워업 한 자신의 음악을 전달하고 싶다. 그것이 "다녀왔습니다"의 순간, 진짜 스타트다. 다시 제 음악 인생이 시작된다고 봅니다."라고 말해 이후 기막힌 부활을 예고했다.

완전 부활 후의 EXILE ATSUSHI의 활약은 눈부셔서, 2017년 10월 27일에 도쿄 제국 호텔에서 개최된 이탈리아 왕가 사보이아가의 자선 궁정 만찬회에 출석. 왕가 기사단 "성 마우리치오·라자로 기사단"으로부터 "나이트"의 칭호와 훈장을 수여받았다. ATSUSHI의 국제적인 문화 활동이나 사회공헌 활동의 공적이 평가되어 수훈하게 되었던 것이다.

2020년 1월, 수익을 아동 양호 시설등의 지원에 충당하는 목적으로, 자신의 YouTube 채널을 개설. EXILE ATSUSHI는 2015년부터 법무부로부터 위촉 '교정지원관' 일을 맡아 정기적으로 소년원 등 교정시설 위문 활동을 벌여왔다. 그 중 소년 범죄를 저지르는 어린이의 70%에서 80%가 가정 환경에 문제가 있다는 사실을 알고 2019년 말부터 일본 각지의 아동양호시설을 방문하고 있다.

EXILE ATSUSHI가 2016년에 진행한 솔로 아티스트로서는 사상 첫 6대 돔 투어에서 King of R&B의 Brian McKnight와 명곡 '마지막 비'를 열창한 콜라보레이션 동영상이 자신의 유튜브 Channel에 올라와 있다.

올해 4월 30일 마흔을 맞은 EXILE ATSUSHI는 "스무 살이 되었을 때, 서른이 되었을 때와는 전혀 달라서 처음으로 인생을 생각한다고 할까, 몇 년 더 살지? 평균수명으로 따지면 반환점이 되었고, 젊음으로 전속력으로 극복할 수 있다고 해도, 체력이 쇠약해진다는 것도 깨닫기 시작하고 있습니다. 반드시 지난 10년간에 50세 이후의 인생도 정해져 있다고 생각합니다"라고 말했다.

또, 6년만이 되는 솔로 앨범 발매나, 약 10년 정도 촬영하고 있었다고 하는 다큐멘터리 작품의 전달, 2권이 되는 저서를 연내에 발매할 의향인 것을 발표했다. 꼭 기대하고 있으라고 웃는 얼굴로 호소하면서, 한층 더 10년만에 중이 된다고 선언.

"원점으로 돌아갈까 봐. 오랜만에 머리를 깎는 것도 괜찮을까 하고. 목숨만 있다면...이라는 메세지도 보내고 싶다. 올해 안에 하겠습니다! 기합 넣겠습니다."라고 말했다

EXILE ATSUSHI의 여명기를 아는 사람으로서는 기쁜 원점 회귀 선언. 한층 더 세련된 EXILE ATSUSHI와 EXILE의 활약을 기대하고 싶다.

EXILE ATSUSHIが4月30日、40歳の誕生日を迎えYouTubeやインスタグラムなどの生配信しながら迎えた。

自宅で過ごす中で今はまっていることの紹介や、CHEMISTRYの堂珍嘉邦、川畑要やGLAYのTERU、TAKURO、DA PUMPのISSA、倖田来未、AI、水原希子、宮根誠司、コロッケ、藤あや子らなどゆかりのある人物から、祝福メッセージが寄せられた。

特にCHEMISTRYは、テレビ東京系「ASAYAN」の同じオーディションを受けていたこともあり、これまでは「仲がいいとか悪いという意味ではなくて、CHEMISTRYコンプレックスがあった。でもEXILEが来年20周年で、40歳を迎えたということもあって、お願いしました」と明かした。

EXILE ATSUSHIは2000年にモーニング娘を輩出したテレビ東京の超人気オーデション番組「ASAYAN」の「男子ヴォーカリスト」オーディションの最終選考で、ATSUSHIは最終選考の5人に残り、2000年11月放送回で、4人に絞る際に、落選した。Mnetのオーディション番組「Produceシリーズ」の源流はASAYANにある。

ATSUSHIは「素人ながらオーディションで毎週テレビに出させていただいて。落ちた時はそんなショックじゃなかったんですけど、その後、受かった人が(CHEMISTRYとして)うわーっとテレビに出てるのを見ると、だんだんと痛んで…。ほんとはあそこにいたのかもしれないのに、俺、でかいチャンスを逃したのかもな、と思うと、だんだん辛くなってきて」とTV番組で当時を回想していた。

当時20歳。酒を飲んで悔しさを紛らわす辛い日々が続いたという。

CHEMISTRYは2001年3月7日にシングル「PIECES OF A DREAM」でデビューし、発売6週目でオリコン1位を獲得。これはジャニーズ事務所所属のアイドルを除けば男性ボーカルグループでは21年ぶりという快挙であった。

同年11月には初のオリジナルアルバム『The Way We Are』を発売、トリプルミリオン(累計350万枚の大ヒット)を記録する。このアルバムのセールスで、オリコンに於ける男性アーティストのデビューアルバムとしての歴代1位記録を樹立した。当時、街中どこを歩いても、どのKARAOKE店に行ってもCHEMISTYばかりかかっていた。

2011年CHEMISTRYが珍しく学園祭に出演すると聞き、神戸の甲南大学まで聴きに行ったことがある。CDをかけているような神がかった歌の上手さだった。

人気オーデション番組「ASAYAN」で4人に残っていたのが、現在、EXILEでパフォーマー兼ボーカリストとして活動するNESMITHだった。

ATSUSHIは2001年に、EXILEの前身で、HIROがリーダーを務めていたJ Soul Brothersに誘われて加入。

J Soul Brothersは2001年8月24日、渋谷のクラブATOMで行われた「SASA FINAL LIVE & ATSUSHI, SHUN FIRST LIVE」を最後にSASAが脱退、新ボーカルとしてATSUSHIとSHUNが初披露された。同グループは、数日後EXILEと改名して再始動した。

EXILEは、2001年から2006年が「第一期」で、ATSUSHIとSHUNがツインボーカルを担い、EXILE伝説はここからスタートした。

EXILEがデビューしたばかりの2001年頃、私は東京新橋にある日本最大規模のダンススタジオZeal Studioに通っていて、Hiphop Dancerである Suguya氏のクラスを受講していた。Suguya氏は、Event Organizerとしても活躍しており、氏が主催していたDancer’s PartyにEXILEが出演することになり、Suguya氏に誘われて、川崎のCLUB CITTA'に観に行ったことがある。

当時、EXILEは今ほどブレークしておらず、ATSUSHIかSHUNが「Dancer’s Party、楽しみにしてきました」と元気に挨拶し、デビューシングル「Your eyes only 〜曖昧なぼくの輪郭〜」を楽しそうに歌っていた姿を今も鮮明に覚えている。

EXILE ATSUSHIは埼玉県越谷市出身で、埼玉県越谷市出身のメンバーが主体のR&BコーラスグループLuv and Soulのライブにたまに遊びに来ていた。Luv and Soulは美しいハーモニーが特徴で、95%以上のファンは女性ファンだった。ある日、原宿のライブハウスでワンマンライブをやるというので、最後列で待機しているとEXILE ATSUSHIが突然現れて、挨拶を交わし、すぐ横で2時間、ライブを観た。

余談であるが、BTSのデビューは2013年6月13日のMcountdownで、当時CJ E&Mセンター2階スタジオでBTSの初の生ステージを現地で観たという思い出もある

ビッグアーティストの黎明期には縁があるかもしれない。

その後、EXILEは2008年の年末、初のドームツアー「EXILE LIVE TOUR "EXILE PERFECT LIVE 2008"」を開催

この時期以降は、日本を代表する国民的グループとしてすっかり認知された。

ATSUSHIは、2006年頃からソロとして活動開始。2011年9月14日、EXILEのシングルに同時収録された「いつかきっと…」にてEXILE ATSUSHI名義でソロデビュー。

EXILEの人気は順風満帆であったが、ATSUSHI個人といては、「引退も考えた」時期もあったという。

「ほぼ毎年ツアーをして、毎年アルバムを出すというペースを崩さずにきたので、色々なものがすり減っていくのを実感していた。自分の歌に自信がない、思うように歌えない。もしかしたら歌が嫌いになってしまうかもと逃げだしたい思いがあった」「一度リセットしないと何かが崩れそうだと予感していた」と2015年~2016年当時を振り返っている。

2016年にソロ歌手として史上初となる6大ドーム「EXILE ATSUSHI LIVE TOUR 2016 “IT’S SHOW TIME!!”」(東京、札幌、西武、名古屋、大阪、福岡)を敢行している。

6大ドーム後の2016年10月から2017年2月上旬までロサンゼルスやニューヨークに留学。充実した充電期間を過ごした。

留学を経て、「これはいける」と歌う感覚を取り戻せたと語った。活動再開に向けては「大切なメッセージを届ける歌手になりたい。元気いっぱいで復活させてもらいたいですね」と意気込み、「パワーアップした自分の音楽を届けたい。それが“ただいま”の瞬間で、本当のスタートになる。また自分の音楽人生が始まると思います」と語り、その後、見事な完全復活を遂げた。

完全復活後のEXILE ATSUSHIの活躍はめざましく、2017年10月27日に東京・帝国ホテルで開催されたイタリア王家サヴォイア家の慈善宮廷晩餐会に出席。王家騎士団「聖マウリツィオ・ラザロ騎士団」から“ナイト”の称号と勲章を授与された。ATSUSHIの国際的な文化活動や社会貢献活動の功績が評価され、受勲に至った。

2020年1月、収益を児童養護施設などの支援に充てる目的で、自身のYouTubeチャンネルを開設。EXILE ATSUSHIは、2015年から法務省より委嘱される「矯正支援官」の仕事を引き受け、定期的に少年院などの矯正施設への慰問活動を行なってきた。その中で、少年犯罪を犯すこどもの7割から8割が家庭環境に問題があるという事実を知り、2019年末から、日本各地の児童養護施設への訪問を行なっている。

EXILE ATSUSHIが2016年に行ったソロアーティストとして史上初めての6大ドームツアーでKing of R&BのBrian McKnightと名曲「最後の雨」を熱唱したコラボレーション動画が自身のYoutube Channelにアップされている。

今年の4月30日に40歳を迎えたEXILE ATSUSHIは、「20歳になったとき、30歳になったときとは全然違って、初めて人生を考えるというか、あと何年生きるんだろうって。平均寿命からすると折り返しくらいになって、若さで全速力で乗り切れるって、体力の衰えとかにも気付き始めているので、きっとこの10年で50歳以降の人生も決まってくると思う」と語った。

また、6年ぶりとなるソロアルバム発売や、約10年ほど撮影していたというドキュメンタリー作品の配信、2冊目となる著書を年内に発売する意向であることを発表した。ぜひ楽しみにしていてと笑顔で呼びかけると、さらに10年ぶりに坊主になりますと宣言。

「原点に戻ろうかなって。久々に坊主にするのもいいのかなと。命さえあれば…というメッセージも届けたい。今年中にやります! 気合い入れます」と話した。

EXILE ATSUSHIの黎明期を知る者としては嬉しい原点回帰宣言。さらに磨きがかかったEXILE ATSUSHIとEXILEの活躍を期待したい。