[토시키 아오야마] "위독한 상태"로 알려졌던 쟈니즈 사무소의 쟈니 키타가와 사장(87)의 병세에 대해서, 이 사무소가 7월 1일 "해리성 뇌 동맥류 파열에 의한 지주 막하 출혈"으로 입원하고 있다고 밝혔다.

키타가와는 지난 6월 18일 오전 11시 반경 몸의 이변을 호소하고 도내의 병원에 응급 이송되었으며 현재도 입원중이라고 한다. 동사무소는 "쟈니씨는 지금도 필사적으로 노력하고 있습니다" "치료에 전념하는 것을 최우선으로 하고 싶습니다"라고 메세지를 전했다.

아라시의 사쿠라이 쇼(36)는 7월 1일 본인이 캐스터를 맡고 있는 일본 테레비계 "news zero"에 생방송 출연하여 "(키타가와씨가) 구급 반송된 다음 날 멤버 5명이 면회를 갔습니다. 그 후도 몇 번인가 가고 있습니다. 물론 아라시뿐만 아니라, 선배나 많은 후배들도 면회하러 가고 있습니다. 하루라도 빨리 나아지길 기도하고 있습니다"라고 밝혔다.

사쿠라이 쇼

입원 후, 기무라 타쿠야(46), 나카이 마사히로(46)나 아라시의 멤버를 비롯한 거의 모든 사무소 소속 탤런트가 병문안을 했으며, 독일에 있던 콘도 마사히코(54)도 문병차 급히 귀국했다. 6월 18일 저녁에는 스포츠 신문과 방송들의 와이드 쇼가 병원에 몰려들었다. 쟈니 씨가 연예계 아버지이자 쟈니스의 친부모로 얼마나 큰 존재인지를 세상에 알린 결과다.

콘도 마사히코

"탤런트들의 "쟈니씨 사랑"이 강한 데는 이유가 있습니다. 그렇게 큰 회사인데도 잘난 척하는 경우가 없고 겸손하며 프렌들리하죠. 아직 데뷔전의 Jr. 멤버와 햄버거를 자주 같이 먹는 등 친구의 거리감이었다고 합니다. 복장도 정장이 아니고, 러프한 모습으로 사장으로 보이지 않는 등의 친근감을 느끼는 것입니다."라고 한 연예 리포터는 말한다.

Kinki Kids

쟈니의 탤런트 발굴 안목은 천재적이라고 알려져 있다. 1960년대 초 그가 요요기에 있던 미군 숙사 『 워싱턴 하이츠 』에서 소년 야구팀 『 쟈니스 』를 만든 것이 현재 쟈니스의 원형이다.

현재 동서 모두 300명 이상인 연수생 한 사람 한 사람까지 세심하게 파악하고 있으며, 앞까지 내다보는 신과 같은 천리안으로 타노킹 트리오, 시부가키타이, 히카루 GENJI, SMAP, 아라시와 같은 시대를 상징하는 초인기 남성 아이돌을 배출했다.

나카이 마사히로

쟈니 씨의 머릿속은 늘 탤런트 프로듀스로 채워진다. 무대 연습에도 매일 같이 얼굴을 내밀어 실전 직전에도 연출을 크게 변경하기도 한다. 일에 관한 타협은 일절 없다.

휴일은 거의 없고 여행도 안하며 골프나 마작 같은 취미도 없다. 연습 등의 현장이 없는 날이라도, 자택에서 관계자와 전화 협의를 한다.

쟈니 씨는 언론에 노출되는 것을 매우 싫어하지만 기네스북에 "무대나 콘서트를 가장 많이 프로듀스한 인물"로 실렸을 때는 크게 기뻐했고, 그래서 처음으로 공식적으로 자기 사진을 공개했다. 사진은 스스로 열심히 골라 결정하였다고 한다.

아라시

한국과 중국에도 많은 쟈니스 팬이 있으며, 쟈니씨는 해외 팬에게 친절한 것으로 알려져 있다. "중국에서 KinKi Kids의 콘서트가 있을 때, 강한 비 속에서 장시간 관객들이 개장을 기다리고 있었습니다. 그때 따뜻한 차를 나눠준 사람이 쟈니 사장 본인이었어요. 또, 다른 콘서트에서는 줄선 해외 팬을 염려해, "빨리 열어요"라고 개장을 앞당긴 적도 있었습니다"라고 와이드 쇼의 스탭은 말한다.

KPOP의 원류를 만든 SM엔터테인먼트의 창립자 이수만씨도 숭배하는 존재로서 50년에 걸쳐 일본의 연예계를 이끌어 온 희대의 명프로듀서 쟈니 키타가와.

확실히 유일무이한 존재이자 현재도 나중에도 쟈니 키타가와를 대체할 인물은 없을 것이라는 점만은 확실하다.

「重篤な状態」と報じられていたジャニーズ事務所のジャニー喜多川社長(87)の病状について、同事務所が7月1日、「解離性脳動脈瘤破裂によるくも膜下出血」で入院していると明らかにした。

ジャニー氏は6月18日午前11時半ごろ、体調の異変を訴え、都内の病院に救急搬送された。現在も入院中だという。同事務所は「ジャニー氏は今も必死に頑張っています」「治療に専念することを最優先とさせていただきたい」とメッセージを伝えた。

嵐の櫻井翔(36)が7月1日、キャスターを務める日本テレビ系「news zero」に生出演し、「(ジャニー氏が)救急搬送された翌日に、メンバー5人で面会に行きました。その後も数回、行っています。もちろん、嵐だけでなく、先輩やたくさんの後輩たちも面会に行っています。1日でも早くよくなるよう、祈っています」と明かした。

入院後、木村拓哉(46)東山紀之(52)中居正広(46)や嵐のメンバーをはじめ、ほぼ全ての事務所所属タレントが見舞いに訪れた。ドイツにいた近藤真彦(54)も見舞いのために急いで帰国した。6月18日の夕方には、スポーツ紙や各テレビ局のワイドショーが病院に詰めかけた。ジャニー氏が「芸能界の父」「ジャニーズ生みの親」として、どれだけ大きな存在であるかを世間に知らしめる結果となった。

「タレントたちの“ジャニーさん愛”が強いのには理由があります。あれだけ大御所なのに、偉ぶることはなく、謙虚で、フレンドリー。まだデビュー前のJr.メンバーとはハンバーガーをよく一緒に食べるなど、友達の距離感だったそうです。服装もスーツではなく、ラフな格好で社長然としていないなど親近感を覚える。」とある芸能レポーターは語る。

ジャニー喜多川のタレント発掘の眼力は天才的といわれる。1960年代初頭、ジャニー氏が代々木にあった駐留米軍宿舎『ワシントンハイツ』で少年野球チーム『ジャニーズ』をつくったのが今のジャニーズの原型と言われる。

現在、東西あわせて300人超とされる研修生一人一人にまで、細かく把握しているおり、先の先まで見通す神のごとき千里眼で、たのきんトリオ、シブがき隊、光GENJI、SMAP、嵐といった時代を象徴する超人気男性アイドルを輩出し続けてきた。

ジャニー氏の頭の中は、常にタレントプロデュースのことで埋め尽くされている。舞台の稽古には毎日のように顔を出し、本番直前でも演出を大きく変更させることもある。仕事に関しての妥協は一切ない。

休日はほとんどとらず、旅行もしない。ゴルフや麻雀などの趣味もない。稽古などの現場がない日でも、自宅から関係者に電話し、打ち合わせをする。

ジャニー氏は、メディアに姿を晒すのが大嫌いだが、ギネスブックに「舞台やコンサートを最も多くプロデュースした」人物として載った時は、大喜びした。そこで初めて公式に自分の写真を出した。写真は自分で一生懸命選んで決めた。

韓国・中国には大勢のジャニーズファンがいるが、海外ファンにも優しいことで知られている。「中国でKinKi Kidsのコンサートがあったとき、強い雨のなか長時間お客さんが開場を待っていました。そのとき温かいペットボトルのお茶を配ったのは、なんとジャニーさん本人だったんです。また、別のコンサートでは並んでいる海外ファンを気遣って、“開けちゃいなよ”と、開場を早めたこともありました」とワイドショーのスタッフは語る。

KPOPの源流を作ったSMエンターティメントの創立者イ・スマンも崇拝し、50年にわたり日本の芸能界を牽引してきた希代の名プロデューサー・ジャニーズ喜多川。

まさにオンリーワンの存在で、後にも先にもジャニーズ喜多川の代わりはいないことだけは確かである。